こーだいなブログ

兵庫県在住フリーライターによる日常の思索のブログです

天使と悪魔

どーも西原です。

 

 

 

 

 

 

 

ってやつね。ここのネタもなくなってきたのやつね。

 

 

 

 

 

 

寒いから鍋しました。もう6月やのに。30度超す日もあんのに満場一致で。

昆布浮いてたわダシの。ダシ用の。おいしくいただきました。

スタッフはおらんかったけど。あとでじゃなくすぐ食べたけど。早食い。小食の。

 

 

 

 

 

 

昨日急にダークネスなの書きたくなったのよね。最近ほのぼののばっかり書いてるから。

善と悪みたいな根源的なこと。人間の本質。細胞のひとかけら。アメーバからの増殖。

人間の増殖。人類は増えても増やします。RADWIMPSね。結構出てくるね。おしゃかしゃま

 

 

 

 

 

 

天使と悪魔っているやん自分の中に。いやいるねんでみんな。知らんかもしれんけど。

ちゃんと挨拶しときやこんにちわって。多分変な人に思われるけど周りの人に。

まあいるやん天使と悪魔。それこそ善悪の基準みたいな。

お財布拾って警察に届けようとする自分と、お金抜き取って捨てようとする自分。

 

 

 

 

 

で、自分の中で天使と悪魔が戦って、勝ったほうの意見が人間の行動として発現するわけよ。多分ね。天使と悪魔が行動の指針とするならね。まあそうしようよ一旦。

天使はいいやつ、悪魔は悪いやつっていう認識やん。やったら悪魔追い出して天使だけにすればいいやんって思うやん?でもそれじゃ人間が崩れるんやと思うのね。

 

 

 

 

 

 

車の両輪みたいな感じ?善の車輪、悪の車輪があってそれが両方きちんと動いて人間は真っすぐ進めるっていうイメージやな。がちがちに善だけやと上手には進まれへんし、悪に傾きすぎると世界から受け入れられないよね。

善悪バランスよく進める必要があるわけよ。結局世界には悪があってしかるべきというか、もともと世界に内包された自然なものやから。

 

 

 

 

 

何の話かってこの善悪のバランスが人間のバランスになるわけね。悪に傾けば犯罪者。善に傾けばお人よしみたいな。犯罪者になるくらいならちょっと損するお人よしでいいやって思う人はいるかもね。

でも多分そんな多くないよね。もともと人間にだって悪は内包されてるから。

みんながお人よしならちょっとずるいぐらいが上手くいくって考える人のほうが圧倒的に多いよね。自然法的な感じで悪が存在することをもっと認識しないといけないよね。

 

 

 

 

 

大前提として世界に悪が内包されているって言うたやん?でも、世界に善は内包されてないねん。それはもともと弱肉強食っていうか、そういう自然のシステムに対して人間が善悪を振り分けたからっていうのもあるよね。

生に対して正直な行為を悪とか堕落としてしまって、耐えることを尊いこととしたから。

だから人間が、というか言葉の誕生が世界に悪を含ませたとも言えるよね。衝動自体は言葉の前からあるから一概にそれが全てではないけど。

 

 

 

 

 

 

このバランスが崩れるっていうのが、全体の量の増減じゃなくてその濃度とか強度の問題やと思うのよね。全体量は常に同じで、どっちかの内部に異常をきたしたから少しずつ人間が崩れていくっていう感じかな。

悪の濃度が濃くなればそれだけ行動の発現は悪に近づくし、善の場合もまた一緒。

 

 

 

 

 

問題は悪は過剰でも悪やけど、過剰な善は悪にひっくり返るっていうことよね。

おせっかいが過ぎればトラブルにもなるやん?簡単にいうとあんな感じ。

善悪は常に表裏一体のはずやのに、悪の方から善に裏返ることはないねん。

いかさまでコイントスしてるみたいな。それもまた世界のいたずらなんやろな。

 

 

 

 

 

 

どう転んでも裏になるコインを投げてんねんから。どうすれば、表になるんかを考えるんじゃなくて、裏に耐えるためには、それに対抗するためにはどうするかを考えるべきなんやろなって思う。

そう考えることが世界を憂う結果になっても、それが人間やから。

天使と悪魔を飼ってるのはやっぱり人間やから。

 

 

 

 

 

 

ダークネス。ってか概念的っていうか。悲観的な仮説。それほど悲観的とは思ってない。むしろ悲観的に仮説を立てて今後を考えるほうが楽天的、前向きな気もするけど。

たまにはそんなことも考えるよね。考えてる間は真剣そのものやから。

考えてないときも真剣やけど。常に。まじめ人間やから。咳きこむ咳きこむ。

 

 

 

 

 

 

 

おしまいまいつむり。