こーだいなブログ

兵庫県在住フリーライターによる日常の思索のブログです

富トミーヒルフィガー貧イワンの馬鹿

どーも西原です。

 

 

 

 

 

 

 

 

ってやつね。チャツネ。もうシンプルにチャツネ。

 

 

 

 

 

 

またnote書きました。今度は破壊点というタイトルです。

今回はちょっと重たいテーマで書きました。でも逃れられないテーマです。

再度読んでもらえると嬉しいです。色んなところにシェアしてもらえると喜びます。

note.mu

 

 

 

 

 

noteの内容とは裏腹にポップなことを考えてみようと思う。

ホップでステップして思わずホップしてしまうような。

一回してみたら分かるけどジャンプってめっちゃ負担かかるから。ホップが一番やから。

ジャンプは週刊で読む習慣が一番終刊からほど遠いから。

 

 

 

 

 

ポップな内容って言うとやっぱり富の話やな。

みんなもれなく好きやろ富って。富くじ当たらんけど買うやろ。

当たらんかったら文句言うけどほんまに当たったら誰にも何にも言わんやろ。

イワンやろ。富や言うてんのに。トミーやのに。イワンの馬鹿やろ。馬鹿野郎やろ。

 

 

 

 

 

富っていうのはそもそも財産とか、集まった財産ってことらしいのねん。

あとは物が充分にあるとか満ち足りてるとか。

直接的にお金を指してる場合もあるけど、一概にそうではないっていうのがポイントよね。

 

 

 

 

 

富=お金って人は結構多いと思う。実際お金あったら割と何でも出来るし。

お金でどうにかなる範囲の幸せがその人の幸せと合致してたら、誰が何と言おうがその人は幸せやし。

お金持ちは心が貧しいとも言われるけど、それはやっぱり個人差であって。

お金持ちでも心が豊かな人もおれば、貧しい人もおる。それは貧富の差に関係なくそうなってる。

 

 

 

 

お金で本当の幸せが買えないっていうのは半分正解で半分間違い。

さっきも言ったようにお金で解決できることが幸せの範囲内であれば幸せ。

そうでないなら後はその人の努力による。金にかまけなければ充分幸せたり得る可能性はある。

 

 

 

 

 

そもそもお金で本当の幸せが買えないっていう、お金で叶えることに問題の焦点が置かれてることもちょっと誘導っぽい。

幸せとお金の有無の関係性は完全に人による。その人の価値観による。

 

 

 

 

 

じゃあ富=幸せではないのか。それもなんとも言えん。それも人による。

でも富=お金であるとするならそれは人にはよらない明確な答えがある。

 

 

 

 

 

お金は価値を具現化したものであって、便宜的にあの形になっているだけなのね。

だからお金=価値の具現化であって、その価値を決定しているのは人間の信頼。

つまりお金=価値の具現化=人間の信頼であって、人間の信頼っていう思考がなければお金に何の価値もないねん。鼻かんでポイってすんねん。

 

 

 

 

 

過程を飛ばせばお金=信頼と言う思考であって、思考=富であると。

豊かであることは個人の思想に任されていると非常に夢のような答えになるわけです。

 

 

 

 

 

 

だから老いも若いも、男も女も、富豪も貧者も、すべてはその意識次第で富にも否にもなり得るのねん。

綺麗事やと思う?でもそんなもんやから。結局は何を考えているか、何を感じているかで人生は決定するから。

 

 

 

 

だから意識次第でも富になり得るっていうラッキーが用意されてるけど、その思考は容易ではないから、意識一つで否富、すなわち貧というアンラッキーになってる人もたくさんいるねん。

まあ富が良くて、貧がダメとも一概には言えないわけではこの答えはやっぱり人間に託されてるんやけどね。

 

 

 

 

 

終わりに近い。