こーだいなブログ

兵庫県在住フリーライターによる日常の思索のブログです

ええ、人という字はぁ

夜風が気持ちのいい季節になりました。

 

 

 

 

 

 

どーも西原です。

ってやつね。今回は変化球的な始まりよね。夜風も厚いよね。嘘だよね。

冒頭嘘という暴挙で注目を集めようとあくせく画策している。

恐らく効果はない。ノーマルタイプでゴーストタイプに攻撃するような。

その逆も然りの空虚さがそこにはあって。空虚という無がある。空虚の価値破壊。

 

 

 

 

 

すごいことが始まったみたいやけど、多分そんなことはないから。

一歩外に目を向ければ空虚は正しく空虚のままやから。

安心してください。空虚ですよ。っていうってもそこにある以上空っぽにはならないけど。

思想で埋め尽くされて空虚をFILLしてしまった状態です。

 

 

 

 

またnoteの方に物語を書きました。

腐敗というタイトルながらポップな仕上がりです。

思わずポップと頬を細めて言ってしまうような。ステップしてホップしてしまいます。

ぜひ読んでください。そして拡散してもらえると嬉しおす、めっちゃ、です。

note.mu

 

 

 

 

 

 

今回は集団について考えてみましょう。

 

 

 

 

 

 

集団とは人の集まりですね。人が複数いればそれはもう立派な集団ですね。

その集団が立派かどうかはさておき、集団の定義としてはそれはもう立派なものですよ。

 

 

 

 

 

人という字は人と人が支え合って出来ていると言いますね。

金八先生が言ったことであまりにも有名なセリフよね。

金八先生って金八先生は一人よね。某は付ける意味はないよね。

何某坂本、何某金八、何某の何某は何某?

 

 

 

 

 

で、人と人が集まって集団が出来るわけですね。

しかし人という字は人と人が支え合っていることで成り立っているもので、一人では人という成り立たないということになりますね。

人は一人では人に非ずと、そういうわけですね。

 

 

 

 

 

しかし人は一人だと自立、や、独立、という手段によって自らを誇示するわけで、一人である方が自身を奮い立たせ、思考し何とか生き抜こうとするわけですよ。

 

 

 

 

 

一人であることはより生命力のいることであり、人に非ず状態というのはいささか問題があるように思うわけですね。いささか先生ですよ、某サザエさんの。

 

 

 

 

 

 

しかし集団はどうでしょうか。確かに人として支え合うことはありますね。

一人ひとりが集団の一員としてそれぞれの役割を果たすことで、可能になることは増えますね。

 

 

 

 

 

しかしそれは集団が上手く機能した場合ですね。多くの場合は上手く機能しないよね。

何らかの障害が発生して、集団の問題をやり過ごすことでいっぱいよね。

 

 

 

 

 

集団における問題解決の方法で主な手段となるのは無視よね。

問題に直面してもそれを無視することで、問題をなかったことにする。

でも問題は起きているわけで、なかったことにしてもあるのよねずっと。

空虚があるみたいなことで、ないけどあるねん。

 

 

 

 

無視をするっていうのは思考をやめることなのね。簡単に言うと。

思考をやめるとはどういうことか。ある意味では人間をやめるということなのね。

人間は考える葦であるっていうのも、何某が、これは本当に思い出せないから何某のままでいくけど、何某が言うてるから。

 

 

 

 

 

つまり人と人が支え合って人になった結果、集団として人に非ず、状態になるわけで。

人と支え合わず人に非ず、状態であっても生きるためのフル思考で思いっきり人間なのです。

つまり人間とはそれほど矛盾やジレンマを抱えた。儚い存在なのです。

花火のように儚い存在なのです。夏だから花火の匂いを嗅ぎたいわけです。

僕は花火は匂いが一番すきなのです。

 

 

 

 

 

 

終結